「夜明け前に思う」
皆さまもよくご存じの島崎藤村に『夜明け前』という有名な小説があります。諸国を遍歴してきた松雲和尚が、木曽馬篭の万福寺を 継ぐために遠方からやってくる場面であります。新住職はその寺の前まできますと、境内は大変小さくまた荒れている様子で、そのとき次の言葉を思いうかべたということが書かれています。 それは、「寺に大地小地なく、住持に大地小地あり」という言葉であります 。地は地面の地と書き、「だいち」でなく「だいじ」と読みます。この地は土地を意味するのではなく、菩薩の位を意味しますが、要するに寺には大きい小さい(あるいは高い低い)の位や格はなく、住職にこそ大きい小さいの器があるという意味であ ります。 そして新住職はこの言葉を思い出して、自分を励ましたと書いてあります。 私も多くの方々に支えられながら、歴代住職の法灯を消さぬよう頑張ります。 真金寺二十三世俊嶽寿彦(しゅんがくじゅげん)謹白
「一生真似たら本物だ」
43年前の話になります。当時私が永平寺の修行僧であり、今は亡き宮崎禅師様が監院(かんにん 寺の一切の事務を監視する)のお役に就いておられた頃行者(あんじゃ 付人)として、一年間お勤めをさせていただきました。いつも私達雲水(修行僧)に対しお示ししてくださった事は、「ものを習う時、我をはってはならない。芸事、スポーツ、勉強、また人生の知恵であれ、仏道修行であれ知ったかぶりや慢心があっては習う事は出来ない。書道を例にとるなら、先生の書を真似しぬいてやっと基本が出来る。その上で、はじめて自分独自の味や形がでてくるものである。自分勝手に書いていたら、基本も身につかず伝統を受けつぐこともできない。伝統とは、先輩たちが積み重ねてきた遺産である。」と
「一日の真似は一日の真似、三日の真似は三日の真似、一生真似たら本物だ!」
2008年1月5日、106歳(数え108歳)にて遷化 大本山永平寺第七十八世宮崎奕保(えきほ)禅師様のお言葉。
仏道修行を一生真似るのは私にはとても無理です!